繊維リサイクル・製品製造

繊維リサイクルの歴史【013】ごみ問題の行き詰まり

回収の山71年のニクソンショック、それに続く73年のオイルショックにより日本の高度成長は終わりを告げ安定成長期に入りました。変動相場制移行に始まる日本の円高は85年のプラザ合意以降急速に進み、海外から安価な製品が流入するようになる一方、日本は世界一の物価高・人件費高の国になりました。その結果、ちり紙交換も一部の地域を除いて姿を消してしまいました。

故繊維業界に目を向けると、ウエスや反毛の大口の需要先であった自動車業界などが積極的に海外移転を進めたことによりその需要が減少しました。中古衣料はアジアの経済発展により唯一順調に成長を続けますが、97年のアジア通貨危機、暴落した自国通貨ゆえにコスト面で相対的優位に立った韓国などの追い上げにより過当競争に陥り、価格が暴落してしまいました。

高度経済成長のひずみによる公害問題などは60年代から出ていましたが、70年代に入り安定成長期になると発展の爪跡としての環境問題に関心が高まるようになりました。特に国土の狭い我が国では、大量生産・大量消費・大量廃棄の結果として、ごみ問題が深刻になりました。

こうした中、今ではリサイクルという言葉が一般的にも定着しブームのようにもなっています。80年代までの故繊維業界では一貫して需要を満たすだけのぼろの供給がなく「いかに集めるか」が課題だったのですが、世間のリサイクルに対する関心の高まりと共に市民運動や行政回収が広がるようになると、ちょうど需要が減少していた折に供給だけが激増する、という業界としては前代未聞の現象が発生しました。これまで100年以上繊維リサイクルの歴史を担ってきた故繊維業界は皮肉なことにリサイクルに対する関心の高まりと反比例するかのように、供給過剰による危機的状況に陥ることとなったのです。