繊維リサイクル・製品製造

繊維リサイクルの歴史【012】中古衣料輸出のはじまり

逆にわが国の衣生活がますます豊かになった結果として、まだ着られる衣服がぼろとして大量に回収されるようになりました。女性用の肌着やクリーニング店の袋に入ったままの背広、レースのカーテンなどですが、これらは残念ながらウエスにも反毛原料にもなりません。しかしこうした従来の概念で「ぼろ」とはいえない再使用可能な古着がやがて中古衣料として東南アジアに向けて出荷されるようになりました。

こうした海外市場はウエスを扱っていたバイヤーによって開拓されました。昭和45年に開催された大阪万博の折に来日したインドのバイヤーが注目したという話もあります。そうしたルートにはそれまでアメリカの中古衣料が出回っていたのですが、日本人の方が体型が似ているので、次第に日本からの衣類が大量に出回るようになったのです。

戦前も「青島貿易」といって中古呉服の輸出が行われていたのですが、これは満州など大陸在住の日本人に向けて現地では手に入りにくい着物を供給するのが目的で、戦後はなくなっていました。しかし、戦前とは違った形で再び中古衣料の輸出が故繊維業界の主力の一つとなっていったのです。

高度経済成長を経て故繊維業界はその業態を大きく変えることになりました。またこの時期にウエス、反毛、中古衣料という今日の故繊維業界の三本柱が形成されたのです。

古着市場