繊維リサイクル・製品製造

繊維リサイクルの歴史【017】再生資源価格の高騰と繊維リサイクル

故繊維に限らず90年代から00年代の苦境は再生資源業界に共通した出来事でした。しかし長く続いた再生資源業界存亡の危機にようやく底を打つ大きな変化が2000年代半ば頃から見られるようになります。

まず21世紀になり2008年の北京オリンピックを目指し高度成長を続ける中国の旺盛な需要に支えられ、屑鉄や古紙などの再生資源が急速に値上がりを始めました。一時この動きに便乗し古紙や金属類の持ち去り、盗難が相次いで発生しマスコミでも大きく取り上げられました。

しかし同じ再生資源業でも故繊維はこれら価格高騰の流れには乗れませんでした。それは既にご紹介の通り中国市場では故繊維類の輸入が禁じられていること、それに何より繊維は他の資源物と異なり元の素材には戻らないという特殊事情がありました。要するに繊維リサイクルは中国需要による価格高騰の恩恵を受けることができなかったわけです。

ところがその故繊維業界にもささやかながら変化が訪れます。それは10年来続いたデフレーションの終焉です。90年代からの10年というもの、安く抑えた人民元、人件費を武器に経済成長の足掛かりをつくった中国から廉価な商品が大量に流入し、日本は低価格競争の時代が続いてきました。しかし2000年代半ば頃より中国政府は人民元の切り上げ、労務面や環境面の法規整備、規制強化、輸出促進のための増値税を撤廃あるいは減率するなど、それまでの方針を転換し始め必ずしも中国製品が安いとは言えない状況になってきました。さらに世界の余剰資金が原油先物投機に大量に流れ込み、1998年4月には1バレル13ドル程度だった原油価格が10年後の2008年4月には100ドルを突破するなど空前の高値を記録するようになりました。

こうした流れを受け、これまで長い間石油原料から作った安価な不織布のウエスやフェルトに押され続けていた故繊維を原料とした伝統的なリサイクルウエス、フェルトに再び注目が集まるようになりました。さらに海外の中古衣料市場では、これもまた空前のユーロ高やアジア通貨高を受け、20年間世界一のコスト高で価格競争力を失っていた日本製品が優位に立ったとは言わないまでも、元からの品質の良さを認められ次第に受入れられるようになってきました。こうして故繊維業は2000年代の終わり頃になって、価格高騰の恩恵を受けることはできないまでも量的にはリサイクル需要を拡大することができるようになりました。このことは少なくとも故繊維業界のリサイクル率を再び上げることに貢献することになったのです。

さらに国内においては地球温暖化対策としてCO2削減が国際公約となり、環境対策やリサイクルに対する意識がありとあらゆる業種に広がりを見せるようになりました。こうした動きが動脈産業と静脈産業がそれぞれ補完しあう、文字通り健康的な循環器(動脈+静脈)産業を形成していくための契機となるか、今後に期待されます。

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