繊維リサイクル・製品製造

繊維リサイクルの歴史【003】ウエスのはじまり

工場の油ふきなどに使われる布切れをウエスといいます。このウエスは英語で屑やぼろを意味する”Waste”が訛ってできた言葉です。余談になりますが、ベルベットのことを別珍(べっちん:現在ではひょっとして死語になっているかもしれません)といいます。これは同じく英語の”Velveteen”が訛ったものです。後に述べるようにウエスは明治末頃には早くも海外に輸出されるようになりますからアメリカ向けに使用される”Waste”という商品名が日本語化して定着したのも不思議はないといえます。

ウエスの原料は使い古された木綿布などです。なぜ油を拭くのに古布が好まれたのかといえば、洗いざらしの木綿は油分が抜け吸収力が良いからです。これは現在でも変わっていません。

ウエス原料

さて幕末にはすでに洋式軍艦などが導入されていますので、すでに当時からウエスは使われていたものと思われます。しかしある程度まとまった需要が起こるのは明治10年代の半ば頃といわれています。日本郵船や大阪郵船など船舶会社の需要に始まり、やがてわが国の工業発展と並行してウエスの需要は伸びてゆきます。さらに日清・日露戦争がその需要に拍車をかけウエスは産業として成長してゆきました。日本が総力を傾けることになった日露戦争の時などはさすがにウエスの需要も追いつかず、やむなく新しい木綿布を裁断してウエスにするということもあったようです。

40年ほど前まで温帯モンスーン気候で良質の綿素材に恵まれた日本のウエスは広く世界に普及していました。その輸出がいつ頃始まったのか正確なことはわかっていませんが、少なくとも明治末年にはアメリカに向けて輸出されたといわれています。

輸出が本格化するのは、大正時代に入って第一次世界大戦後のことです。欧州を主戦場とする大戦により日本は戦争景気に沸きました。ぼろ業界も大いに活況を呈したわけですが、戦争が終わると一転して不況が訪れます。その打開策として、余ったウエスを海外に輸出しようとする動きが活発化したのです。ところが昭和に入るとウエスは一躍輸出商品の花形となり、昭和11年の統計では日本の輸出品目の第10位前後を占めるほどまでに成長を遂げます。こうしてウエスは製紙原料と並び当時の故繊維業界の主力商品となりました。